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三菱一号館美術館
三菱一号館美術館
〒100-0005 東京都千代田区丸の内 2-6-2



“Kandinsky and the Blue Rider from the Lenbachhaus, Munich”
レンバッハハウス美術館所蔵 カンディンスキー青騎士
第一次世界大戦前夜のミュンヘンで花開いた生命感あふれる色彩とフォルムの世界 “青騎士”

19世紀末のミュンヘンには、ドイツ美術における重要拠点として多くの芸術家たちが集っていました。その中には、モスクワからやってきて、後に 「青騎士」 グループの中心的人物となるヴァシリー・カンディンスキー(1866-1944)もいました。 「青騎士」 グループの芸術革新は、1914年の第一次世界大戦でカンディンスキーはミュンターとともにスイスに逃れる。さらに仲間の若いマルクとマッケは戦死し、戦乱の混乱の中で青騎士も解体してしまうが、戦争勃発まで、ミュンヘンをヨーロッパの前衛芸術の中心の一つにする注目すべき活動を展開しました。
ミュンヘンとムルナウの青騎士はドレスデンとベルリンの芸術共同体ブリュッケとならんで、20世紀のドイツ芸術における最も重要な芸術革新運動のひとつである。
「青騎士」 とは
カンディンスキーとマルクの編集により、1912年に出版された芸術年鑑のタイトル。二人は彼らの芸術理念に共鳴した芸術家たちとともに 「青騎士」 の名を冠した展覧会を組織しました。目に見える形にとらわれず精神的なものを重視し、自由な色彩とフォルムにより描かれた作品はドイツ表現主義の中核となりました。青騎士の活動は第一次世界大戦の影響により短命に終わりましたが、その名は抽象絵画の先駆者カンディンスキーの偉業とともに、20世紀美術の歴史に刻まれています。

会期: 2011 7/5〜 9/4 会場:「山口県立美術館」の巡回展は終了しました。
開館時間:10:00〜18:00、(金・土 10:00〜20:00)
※入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日
会場: 日独交流150周年
三菱一号館美術館 (2010 11/23〜2011 2/6)

※巡回展:2011/2/15〜4/17 愛知県美術館、4/26〜6/26 兵庫県立美術、7/5〜9/4 山口県立美術館


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「カンディンスキーと青騎士」 展
レンバッハハウス美術館所蔵 「カンディンスキーと青騎士」 展
プレス内覧会: 三菱一号館美術館

― 本展は、世界屈指の“青騎士”コレクションをカンディスキーをはじめ、ガブリエーレ・ミュンター、
フランツ・マルク、アウグスト・マッケの油彩など60点の厳選された作品から構成されます。 ―
【展覧会の構成】  ―本文より要約して掲載しています。―
この展覧会は、レンバッハハウス美術館の全面的協力により、日本では初めて 「青騎士」 グループの活動を本格的に紹介します。カンディンスキー、ミュンター、ヤウレンスキー、ヴェレフキン、マルク、マッケ、バウル・クレーの油彩など60点を中心に、貴重な資料や写真を展示して、わずか10数年で戦火に飲まれた 「青騎士」 の活動を検証します。「青騎士」 グループの離散により、一人残ったミュンターは、ナチスドイツが台頭する困難な時代にも仲間たちの作品を守り続け、80歳になった1957年、ミュンヘン市とレンバッハハウス美術館に寄贈します。ミュンヘン市立レンバッハハウス美術館は、20世紀初頭の革新的運動 「青騎士」 グループの世界的コレクションで知られています。
序章 フランツ・フォン・レンバッハ、フランツ・フォン・シュトゥックと芸術の都ミュンヘン
序章 フランツ・フォン・レンバッハ、フランツ・フォン・シュトゥックと芸術の都ミュンヘン
フランツ・フォン・レンバッハは、19世紀末に芸術の都ミュンヘンに関わる神話をつくるのに決定的な役割を果たした。偉大な肖像画家として、上流階級の法王、皇帝、王女、政財界のお歴々の肖像画を描いた。イタリア様式の、広い庭付きの豪奢な邸宅は、現在ミュンヘン市立レンバッハ美術館になっている。

フランツ・フォン・レンバッハ 《オットー・フォン・ビスマルク侯爵)》 1895年
油彩、亜麻布 127.0 x 103.0cm レンバッハハウス美術館

ビスマルクは1871年からドイツ帝国初代宰相を務めており、「ビスマルクの画家」 としての地位は、レンバッハにとてつもない威光を意味しており“画家の王”と賛嘆された。

第1章 ファーランクスの時代-旅の時代
第1章 ファーランクスの時代-旅の時代 1901-1907年
ヴァシリー・カンディンスキーは、モスクワ大学卒業後、芸術の道に決意、絵画修業のため1896年末ミュンヘンにやって来る。1900年にミュンヘン美術アカデミーに入学。その後、独学で彫刻家の仲間たちと1901年 「ファーランクス(古代ギリシャの戦闘隊形の意)」 を結成、美術学校を設立。ここでガブリエーレ・ミュンターと出会い二人はミュンヘンを旅立ってオランダ、チュニジア、イタリアをへてパリ近郊に1年、その後ベルリンでの経験はカンディンスキーの抽象の探求に影響を及ぼすことになる。


第2章 ムルナウの発見-芸術的総合に向かって
第2章 ムルナウの発見-芸術的総合に向かって 1908-1910年
カンディンスキーとミュンターは1908年長い旅の時代を終えて、ミュンヘンの南西バイエルン地方ムルナウの美しい湖畔の町に家を購入、カンディンスキーの芸術は表現主義的制作に進む。やがて内的必然性にもとづく真の芸術的総合を理念に掲げた、「ミュンヘン新芸術家協会」 をミュンヘンでヤウレンスキー、ミュンター、その他幾人の仲間たちと結成している。

ヴァシリー・カンディンスキー 《オリエント風》
 1909年
オイルテンペラ・水彩(?)、カードボード 70.0 x 97.5cm レンバッハハウス美術館

第3章 抽象絵画の誕生-青騎士展開催へ
第3章 抽象絵画の誕生-青騎士展開催へ 1911-1913年
カンディンスキーの絵画はますます抽象化する。1911年芸術の相異からアンリ・ルソー等14名の芸術家で第1回青騎士展を開催。カンディンスキーの芸術論 『芸術における精神的なも』 の刊行は現在まで広く読み継がれる。1912年第2回青騎士展では新たにクレー、パブロ・ピカソ、ジョルジュ・ブラック、アンドレ・ドラン、モーリス・ド・ヴラマンク、カジミール・マレーヴィチ、またエルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー他 「ブリュッケ」 のメンバーなど、国際性に拡大した。

ヴァシリー・カンディンスキー 《印象川(コンサート)》 1911年 オイルテンペラ、カンヴァス 77.5 x 100.0cm レンバッハハウス美術館

ヴァシリー・カンディンスキー
ヴァシリー・カンディンスキー (1866-1944)
略 年 譜
1896年 年末、ヴァシリー・カンディンスキーは絵を学ぶためミュンヘンにやって来る。。
1901年 彫刻家ヴィルヘルム・ヒュースゲンらと芸術家集団 「ファーランクス」 を結成する。
      生徒のガブリエーレ・ミュンターと出会う。
1904年 ミュンターとともにオランダ、フランス、スイス、チュニジア、イタリアなどを旅行。
1909年 「ミュンヘン新芸術家協会」 設立(会長カンディンスキー)。第1回展開催。春以降ムルナウで制作。
1910年 「第2回ミュンヘン新美術家協会展」 設立会員のほかフランスとロシアの前衛芸術家を招待。
1911年 協会を脱退。第1回青騎士展を開催。シェーンベルクのコンサートに感動<印象>を絵画化する。
1912年 第2回青騎士展に素描、版画、水彩画のみの展覧会に31名300点以上の作品が展示される。
1914年 第1次世界大戦は、青騎士グループをばらばらに引き裂く、ミュンターとチューリヒで別れる。
第一次世界大戦の勃発によりロシアに帰国、革命後にモスクワ大学の教授となる。1921年、ドイツに戻ってバウハウスで教鞭をとりながら、幾何学的要素の強い作品を制作した。1933年にバウハウス閉鎖後、パリ郊外に移住。
20世紀の初頭カンディンスキーは、その 「無対象絵画」 を 「純粋に芸術的なもの」 を徹底して追求した結果到達した 「偉大な抽象主義(極限の抽象)」として位置づけ、やがて出現する 「偉大なリアリズム」 によって補完されるであろうと予言していた。

お問合せ:03-5777-8600 (ハローダイヤル)
展覧会サイト:http://mimt./aokishi/
美術館サイト:http://mimt.jp
主催:三菱一号館美術館、東京新聞
学術協力:レンバッハハウス美術館
後援:ドイツ連邦共和国大使館
協力:ルフトハンザ ドイツ航空、ルフトハンザ カーゴ AG、J-WAVE

参考資料:Press Release、「Kandinsky and the Blue Rider」カタログ他。
※写真撮影は全て、主催者の許可を得て行っております。
ご意見ご感想は  yashio@mui.biglobe.ne.jp

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